と異名がありますが、高校時代から怪物といわれていた姫野選手のエピソードを紹介しましょう!
姫野和樹選手、高校時代のエピソード
日本代表でナンバー8の姫野和樹選手(25歳)は、いかにして『ジャッカル姫野』となったのか?
エピソード1ー絶対に手を抜かなかった男ー
彼は、中部大学春日高校のラグビー部でした。当時のラグビー部監督だった宮地 真監督が語るには、
宮地 真 監督
姫野は『絶対に手を抜かなかった男』らしいのです!
「絶対の手を抜かない男」ってキャッチコピーがカッコ良くて憧れます!
中部春日高校に入学した姫野選手は、今と全く一緒で、当時から常に明るくて前向き。負のオーラを出す事が無かったと言われています。
高1でレギュラーになると、上級生についていくため、常に『自分よりできる選手の姿を見てそれを目指していた』と宮地監督は語っています。
そのために『練習では絶対に手を抜かなかった』のです。姫野選手曰く、「きつくなると手を抜きたくなるじゃないですか。でもそこで手を抜くと自分が損するだけ。何のメリットもない」といって、絶対に手を抜かなかったそうです。
言葉ではわかりますが、それができるのって、ガチで根性ないと無理ですもんね♪
また姫野選手が好きになっちゃいました!尊敬するなー。
エピソード2ー上級生になってもトイレ掃除ー
姫野選手がいたラグビー部では、上級生が雑務をこなして下級生に「ノーサイド」の精神を示すと言う規律があったんだそうです。
そのため姫野選手は率先してトイレ掃除をこなしていました。
『監督に言われたからしているんじゃないんです。自分が成長するからやると思えば頑張れる』

どうゆう教育すれば、これほど真面目でポジティブシンキングな人間に育つのかご両親に聞きたい・・笑
そんな高校時代だった姫野選手は、当然後輩からも頼られるし先輩から可愛がられる存在だったようです。
エピソード3ー高3で日本代表入りを宣言ー
高校三年生になる頃には、自分の実力に自信がつき、客観視できるようになる。そして『日本代表になりたい』と、はっきり口にするようになったと言います。
彼がいるだけでチームが明るくなるし、熱くなりすぎずクールで客観的な目線もこの頃身に付いたと言われています。
180キロのベンチプレスをあげる
今では、宣言通り日本代表の中心的存在になり、ベンチプレスは180キロを持ち上げる怪物になりました!
試合中、ラインアウトでボールイン(スローインみたいなもの)するとき、リーチマイケル選手などを持ち上げるのは姫野選手です。
姫野選手の怪力のおかげで、Wカップの予選トーナメントでは日本のラインアウト成功率は100%でした!
ラインアウトの様子
これこそ、地道な努力をつづけてきた姫野選手の努力の賜物ではないでしょうか??
世界屈指のフィジカルモンスターになり『ジャッカル姫野』と言うニックネームまでつきました♪
まとめ
以上、彼が高校時代から、『絶対に手を抜かない男』と言われるエピソードを紹介しました。
まだ25歳と若くてキャリアの絶頂も続くでしょう。今回のWカップだけでなく次回のその次も日本の中心選手として、活躍してほしいですね!
個人的には次回のWカップ日本代表ではキャプテンを務めると思います!これからも頑張ってください!